日々の出来事に考察を

仕事と子育てと教育と

決意で人は変わらない

息子のクラスが下がった。

一瞬落ち込む息子。

もう少し勉強しなきゃ!と宣言。

2〜3日後いつもと同じくダラダラ勉強。

結局母親に怒られる

 

決意だけで人間の行動なんて変わらないよね。皆そうじゃないですか?

 

筋トレしなきゃ!と思って何日かやるけど続かない。

ダイエットしよう!とお菓子食べないようにしても数日後にはなんだかあやふや。

 

お前の決意は嘘だったのか!っておやはおこるけど、決意が嘘なわけじゃないよ。そのときは本当にそう思ってるんだ。でもやっぱり勉強って辛いから怠けちゃう。そんなこと当たり前ですよね。

 

うちの子は違う?いやいや、子供の気持ちもわかろうともせず、勝手に決めるな!

 

親が出来るのは、本当にやろう!って本人が思うまで黙って見守ること。親ができることなんてそんなもんだよ。

 

大口叩いていいですか?

子供を親がなんとかできるなんて奢るな!

 

 

ディズニーランドの残念なコロナ対策

はじめに立場を明確にしておきたい。

コロナに関しては、ワクチン2回接種済み、3回目は受ける必要もなくするつもりもない。

 

オミクロンになってコロナは完全に終わった。規制や対策は取っ払って経済の回復に務めるべき、と思っている。

 

少なくとも大人達は好きにしたらいいが、未成年者や若者などはこれまで散々我慢させられてきた訳で、自由にする。これは強く言いたい。

 

で本題。本日東京ディズニーランドに行ってきた。ディズニーのコロナ対策は未だ継続中である。

 

ほとんど外での活動にも関わらず、鼻までマスクの着用を求められ、レストランでのアクリル板は動かすこともできない。

 

故に家族4人で食事をするのが不便極まりない。カップルはみな横並びで食べている。

 

マスク着用に関して驚いたのはスプラッシュ・マウンテン。写真撮影があるわけだが、グループの誰か一人でも適切にマスクをしていなかったら、写真を見ることも買うこともできないのだ。

 

既に多くの人が感じているところだろうが、すでにコロナ対策は感染対策にはならず、クレーム回避の手段に過ぎない。

 

誰も責任を取らず、批判を恐れ何もしない。控え目に言っても、大人達がだらしない。

無料pcrいつまでやるの?

無料pcr検査受けてきました。旅行をお得に行くために。

 

ワクチンは2回接種。デルタまでは多少怖かったけど、オミクロンは全く別物。そんなものの為にワクチンを追加接種するつもりはない。そもそも、一度かかったしね。単なる風邪でしたし、子供たちなんて風邪以下。半日熱出ただけです。

 

なんの合理性もなく、お得に旅行する為にワクチン3回か陰性証明。もう目的は国がワクチンを受けさせたいだけだよね。

 

全部税金。一体いつまでやるんだろうか。

 

検査場では女子高生二人組が受けてまして、その理由を担当者が聞いてるんだけど、レストランで食事をするために受けるんだとか。

 

なんだそれ?大人達は好き勝手飲み歩いてるのに、子供達ばかり、ただの風邪に対して規制ばかり。

 

最悪自分たちはまだいいですよ。でもね、子供達はもう自由にしてあげようよ。充分ジジババに忖度してやったでしょうよ。

 

子供達に譲るのが年長者の最後の仕事ではなかろうか。

 

 

怒ったら負け

母ちゃんから怒られたら、親父に電話するように、息子に伝えてある。

 

1ヶ月ほど前には泣きながら電話かかってきたので、慌てて会社を早退して帰った。自殺でもされたら…と本気で考えてしまう。

 

今日も、一報。塾なのに学校から帰ってきたのが遅いと。十分塾には間に合っている。

 

もちろん母親の言い分もあるだろう。

しかし子供にだって言い分はある。

 

そもそも子供は塾に行くだけの機械ではない。何か帰りに興味あるものに惹かれるかもしれない。

 

自分で探してきた、その方が大事じゃないですか?

 

そもそも、いつも機嫌が悪くイライラしているお母さんがいる家庭と、ニコニコしてる家庭とどちらが良いですか?

 

あなたの大事なことってなんですか?

子供が勉強してればそれでいいんですか?

 

もうね、親の負けですよ。親が中学受験をさせてあげられるだけの成長をしていない。そろそろ認めよう、僕ら親達の負けを。

 

子供は立派だ!

子供にとって重要なことは何か?を改めて考えよう

『学力の経済学』の著者である中室牧子さんの記事。どうしても感覚論や経験則に基づいた感情論になりがちな教育分野において、そういった感情を排除し、データや理論的なアプローチをされていることに好感を持っています。

 

そんな中室さんの記事をご紹介します。

「勉強だけ出来ても役に立たない」は負け惜しみではなかった──非認知能力の重要性(上)|WEBアステイオン (newsweekjapan.jp)

 

こちらの記事では様々な研究データが紹介されているが、いずれも「偏差値の高い大学に行くことが収入に与える平均的な効果は殆どない」という結論である。

 

そんなことはデータでいまさら言われるまでもなく、薄々わかっているのに、、、非認知能力が大事だと言われているのに、、、それを無視するかのように、加熱する中学受験戦争。に矛盾を感じている方も多いかと思う。

 

改めて子供の教育に大事なことは何か?親が試されているのではないだろうか。いずれにせよ、あなたは子供に「勉強していい成績で大学に行け!」ということはない。

 

親の収入と子供の学力は比例する

親の収入と子供の学力が比例するというのは有名だ。その背景には収入が高いほうが高等な教育が受けられるからだ、と言うが果たしてそれだけだろうか。

 

もちろん高等な教育が受けられるのは間違いないだろう。それとは別の視点でも考えてみたい。

 

収入の高い親や成功した人間は学力が高いことも多いが、一方で学力だけが大事だとも思っていない。

 

本物は、学力よりも、失敗の経験や広い視野や人間性などが大事な事を知っている。

 

だから、子供が勉強してなかろうが、学力が多少低かろうが、あまり頓着しない。学力が全てだとは思ってないから。勉強しろ!なんて言わない。

 

すると子供はプレッシャーを受けることなくのびのびと育つ。勉強をやりたくなればやるし、他に興味があればそれをやるし、結果成功する。

 

しかし貧乏人は短期的に結果を求めようとするので、勉強しろ!とか成績で一喜一憂したりする。それが結果的に子供の学習意欲を削いでいることも知らずに。

 

収入がないからと言って子供を優秀にできないなんて諦めきれないじゃないか!だったら親にできることは一つ。いつも余裕を持って子供を見守ってあげることだけだ。子供はいつでも進化するものだから。待とう!

子供に良い環境って何だろう

子供に良い環境って何だろう。

 

コーチングの菅原裕子さんは「母親が笑顔でいること。」という。父親としてはやや複雑だが仕方ない。

 

親としては子供の幸せを願うわけだが、そもそも子供の幸せとはなんだろうか?

 

自己肯定感が高くて、自己効用感を持って、自分が幸せだと思えれば良いのではないか。

 

小学生の時から勉強をやらされ、良い大学に入ることが幸せではなかろう。

 

親に余裕がなく、いつもガミガミ勉強しろ!と言われ、子供は親の顔色を伺いながら勉強する。それでたとえ成績が良かったとしても、なんの意味があろうか。やらされてやる勉強になんの意味があろうか。

 

勉強ごときで余裕がなくなるくらいなら勉強なんてやめてしまえ!

 

余裕がなくなると人は笑顔を失ってしまう。いつも笑顔でいる親でありたい。子供が安心できる場所にしたい。勉強なんかよりよっぽど大事な事だと思う。