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「馬を水辺に連れていくことは出来ても、水を飲ますことはできない。」アドラー心理学

今日もアニキ(小1)は怒られた。普段だと、夕ご飯食べて、適当にテレビやAmazonでアニメを30分ぐらい見て寝るのが日課。でも母ちゃんに「ご飯食べたらすぐ寝ろ!」と怒られてしまった。

 

1人で寝るのはかわいそうなので、私も一緒に行って少し話をしたのでその内容をお話します。何か参考になれば幸いです。

 

父:さて、君は怒られ早く寝ることに、一方弟は褒められ今ゲームをやっている。さてその違いは何だと思う?

 

息子:自分はふざけてて、弟はふざけてなかったから

 

父:そうだね、もう少し具体的に説明してみて。君は何で怒られた?そして弟は何で褒められた?

 

息子:お母さんに夕飯の手伝いをしてって頼まれたのにやらなかった。

 

父:そうだね。では弟は?

 

息子:片づけをして褒められた。

 

父:そうそう。その二人の違いは何だろうか?簡単にまとめるとどうかな?

 

息子:・・・

 

父:君は言われてもやらなかった。でも弟は言われる前にやった。この違いはとても大きい。わかる?

 

息子:わかる。

 

父:ではもう一つ教えて。お母さんに頼まれた後、やらずに遊んでたね?その時、わかっていたのにやらなかったの?それとも忘れてたの?

 

息子:忘れてた。

 

父:そうだよね。わかるよ。お父さんも忘れやすいタイプなんだ。ではそうならないためにどうしたらよいと思う?

 

息子:忘れないようにする。

 

父:う~ん。でも忘れちゃうんだよ。お父さんもそうだけど、忘れっぽい人っていてさ、忘れないようにしても忘れちゃうんだもん。覚えておくのって難しいよ。そういう時はどうしようか?

 

息子:あ、そうか。すぐにやればいい?

 

父:そう。お父さんもそう思う。忘れる前にすぐにやれば忘れないで済むよね。しかもすぐにやるってとっても良くて、すぐにやるだけで評価が高いんだ。

 

とまあ、そんな話をしました。怒ってしまいたくなるんだけど、妻が怒ってくれるので自分は少し冷静になれて、息子と対等に話をしようと心掛けています。

怒って話をすると恐怖感からなかなか話をすることができません。言いたいことも言えない。それでは本人の理解が進まないような気がします。なるべく本人が自分で理解して、あとは直すか直さないかは本人が決めること。

 

アドラー心理学ではこんな言葉があります。

「馬を水辺に連れていくことは出来ても、水を飲ますことはできない。」

馬に水を飲ませようと水辺に連れていくことは出来ても、馬が水を飲みたくなければ飲ますことはできません。子供の教育も同じで、子供に何を言ったとしても、本人が変えようと思わない限り変わることはないのですね。私たちができるのは、いろんな方法で手を変え品を変え、水辺に連れていくことだけ。その先は本人が決めることです。強制することはできないのです。